全米を巻き込んだ「トイレ法論争」に連邦裁判所が判決

ライター: JobRainbow編集部
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トイレ。

それは、用を足すだけの場所にあらず。学校で、または、会社で、「とりあえず、トイレ。」と言って、トイレに逃げ込んだことはないだろうか?

筆者は、社会人時代に上司に叱られた後や、眠くてたまらないとき、「とりあえず、トイレ」へ駆け込んでいた。トイレは、外界社会から隔離された唯一の精神的な休憩所でもある。まさに砂漠の中のオアシスだ。何が言いたいかというと、トイレというのは精神活動とも深くかかわる場所だということである

便座に腰掛ける人形

そのように精神活動とも関わるトイレだが、「女子トイレ」にいきなり「男性」が入ってきたらどうだろう?しかも、それが合法であるとしたら。

トイレを利用していたある女性にとっては、オアシスの崩壊といえるかもしれない。
しかし、トイレに入ってきたその「男性」が実は「女性」であったとしたら?

身体的性が男性であっても、性自認が女性であるトランスジェンダーの人にとって、オアシスは女子トイレにある。いや、トランスジェンダーの人にとって、トイレはただのオアシスにとどまらず、彼ら彼女らにとって性別と関係するトイレという場所は人格にも関わるほどの問題である。

男子トイレと女子トイレ、どちらを使用すべきかは「性別」によって決まるが、では、その「性別」は「体」と「心」、どちらによるべきか?
この問いがアメリカのトイレ法論争の根本である。

アメリカの「トイレ法論争」とは?

ハンマー

今年3月、米国ノースカロライナ州は、出生証明書の性別に基づくトイレ使用を義務付ける州法を制定した。すなわち、「体の性」によってトイレの性別が決まることを法制化したのである。これが米国のトイレ法論争の発端である。

同法はLGBTに差別的だと各界で批判を受けることになり、オバマ政権も、公立の学校や大学に、「既存の公民権法を遵守し、トランスジェンダーの生徒が自らが認識する性別のトイレを使用できるようにしなければならない」というガイドラインを発表した。

「体の性」に対する、「心の性」によるトイレ使用の主張である。この対立が米国全体を巻き込む連邦政府と各州の訴訟合戦へと発展していった。まず、連邦政府とノースカロライナ州は5月9日、互いを提訴した。連邦政府は州法を「差別的だ」と主張して無効確認を求めたのに対し、同州は「常識的なプライバシー保護に基づいた政策」と主張して、州法の有効確認を求めている。続いて、5月18日には、テキサス州を筆頭に11州が連邦政府を提訴した。

そして、その論争の結末を全米が見守っていたところ、先日、筆者が、 米国ボストン市内を運転していると、車のラジオから「オバマ政権が全国の学校に対して出した『トイレ等の使用はトランスジェンダーに配慮すべし』とするガイドラインについて、連邦裁がストップをかけた。」とのニュースが!早速、帰宅してネットで調べてみた。すると、その通知に対して行政手続法上の違法があるとしてストップがかかった、とある。

ついに、「体の性」の勝訴で決着か!?

判決書の画像

確かに、この8月21日の連邦地裁の判断は、連邦政府にガイドラインの執行停止を求めるものであるので、トイレ法論争に決着が着いたかに見える。しかし、その判旨の理由は、行政手続法違反に基づくもので、適正な手続きが取られるまでガイドラインの執行を止めるという判断に過ぎない。

傍論(判決書の記載の中で判決効果とは関係ない部分)で、

「この問題は、どの学生も学校において排除されないように配慮されるべきである一方で、学校のトイレや更衣室、シャワーなど性別と関わる施設を使用する際の全学生の保護と学生個人のプライバシーをどのようにバランスをとるかという困難な問題である。」

と述べており、裁判所も問題の敏感性について理解を示しているものの、傍論の最後で、

「とはいえ、当該訴訟の問題に対して解決策を示すことは本決定の趣旨ではない。」

と、内容判断をしていないことを明示している。つまり、結局、本決定は、トイレ法それ自体について踏み込んだものではないのである。本決定に対し、連邦政府は、連邦最高裁判所へ上告する構えである。

トイレ法論争の今後と日本社会への示唆

結果として、上述のとおり、連邦地裁はトイレ法やガイドラインの内容の判断を避けており、連邦政府も上告の予定であることから、トイレ法論争はなんら決着が着いていないことになる。

今回、連邦地裁の決定は判断を先延ばしにしただけともいえそうである。むしろ、この論争がさらに注目を浴びる結果となり、今後は連邦最高裁の判断が出るまでの間、ますます熱い論争が展開されていくのではないだろうか。

この激論の今後の経過と帰着を日本社会は注視すべきである。日本では、最近ようやくトランスジェンダーに配慮したトイレ等の使用について少しずつではあるが民間的な動きがみられる。それを公的なものとして法律でカバーするに至るのはまだ何年も先のことかもしれない。そのための議論の積み重ね期間も必要である。であれば、その際、これから展開される米国での議論は日本社会にとって参考になるはずである。

トランスジェンダーに配慮したトイレ等の使用を促進しよう!と言うのは簡単だ。しかし、その具体化は難しい。ましてや法制化となればより一層困難さを増す。

まず、物理的手段として、どちらの性別のトイレ使用を認めるべきか、トランスジェンダー用トイレを設置すべきか、多目的トイレを併用すべきか、といった問題(第三のトイレを設置しても、その利用者は周囲からレッテルを貼られて見られるリスクがある)。そして、学校や企業などに義務付けた場合に、設置方法や費用、ルールの策定やその運用、違反した場合の罰則の程度など。なにより、トランスジェンダー以外の施設利用者の理解とその者達への配慮である。

法律というものは、個別利益と全体利益の調整であり、かつ、どうしても画一的運用となる性質があることを前提とすれば、その立案と施行までには綿密な議論と試行が必要である。これから我々は、米国の過熱するトイレ法論争から何を見出し、日本国内で何を論じていくべきだろうか?そして、論じるだけでなく、試行錯誤も併行すべきだろう。

「LGBTトイレ」?〜アメリカと日本それぞれ比較〜【ハウスビル2を考えてみた】

JobRainbow編集部
出利葉 大輔
(東京大学法科大学院)

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